Give&Take?Give&Give!

こんばんは、つきしまです。

 

最近就活をしてて、ある会社の社長さんのお話を聞く機会がありました。

そこで印象に残った話を今日は書こうと思います。

 

不満をもってつまらなそうに仕事をする人はどんな人か。という話をしてもらいました。

社長さんが言うには、「自己の重要感」が満たされてない人が、仕事に不満を抱える人なんだそうです。

自己の重要感が満たされてない人というのは、人に何かを与えてもらうことを待ってる人だそうです。Give&Takeでいう、Takeしてもらうのを待ってる人です。

 

Giveもせず、Takeを待ってる人は、自分自身が、誰かにとって自分になることができないため、代替可能な人であり、自己の重要感が湧いてきにくい人であるから、仕事をつまらないと思って取り組みがち。

 

ということでした。なるほどなあと思った。

 

この話を聞いて僕が思ったのは、何かに人生を委ねてる人は人生を楽しめない上に、これからの社会では特に淘汰される傾向が高いのかなということだった。

 

なぜ急に、何かに人生を委ねてるというフレーズが出てきたのかというと、

 

Takeされるのを待つ=人生を自分以外の何かに委ねている

 

と思ったからだ。このブログでは、人生を自分以外の何かに委ねる。ってフレーズが何度も出てくるので、上の等式が生まれる理由が分かる人もいると思うが一応書いておこう。

 

Takeするかどうか決めるのは自分じゃなく、Takeする人だ。

だからもしTakeされなきゃ人生を楽しめないなら、それは人生を楽しめるかどうかをTakeする人に委ねてるってことだと思うんだ。つまり、Takeされるのを待ってる人は、自分が人生を楽しめるかどうかを人に委ねてるってことなんだ。

 

また、Takeしてもらうことを目的にGiveする人も同様に、人生を委ねていると言えると思う。理由は同じで、Takeされるかどうかは、自分じゃなくて人が決めるからだ。

 

淘汰されると思ったのは、代替可能な人ってのは、これからの社会では必要とされなくなってしまうのではないかなと単純に思ったからだ。

 

こんな感じで、

僕はその社長さんの話を聞いて、やはり自分の人生の責任を自分に置いてる人が、社会でも楽しくやっていけるのだなと強く思った。

 

ちなみにもちろん、僕もGiveしたらTakeされたいなって思うこともあるけど、

この話を聞いて、Takeを目的にGiveする、ではなく、Giveを目的にGiveする自分になりたいと思ったし、そんな自分に近づくきっかけを手に入れたと思っている。

 

このブログは誰かにGiveできてるのだろうか。このブログに関しては、Takeされたいという気持ちはほんとに全くない(コメントもらえたりしたら嬉しいけどコメントはTakeとは別物だ。)。

 

だから、Takeを全く求めてないこのブログが誰かに何かをGiveできてるのだとしたら、最高だなって思った。

 

思い返せば、Take目的でGiveしてきたことはこれまであったけど、Give目的でGiveしたこともちゃんとあったなあ。自信つくなあ。

 

けっこう長い間ぶつかってたGive&Takeについての問題が解決で来たので、この話を聞けてよかった。

 

それじゃあ、またね!

いつも読んでくれる人、ありがとう。

 

今日のブログタイトル、はっちゃけてるなあ(笑)