僕の中の常識が、僕を苦しめていた。

こんばんは。つきしまです。


毎日投稿3日目、続けるのは難しいですが、引き続き書きます。


実は僕、自分の写真集をつくってたんですけど、それが今日、完成しました。

けっこう気に入ってます。

写真集作ってて、この時間のブログになりました。


さて、今日は何を書くかというと、


自分の中の常識を自覚することが、自分の人生を生きる手掛かりになると思う。

逆に知らないことで、自立を阻害されてしまうと思うよ。


ってことを書きます。


自分の中の常識って、言葉通りだけど、自分にとっての常識。

だけどその常識は、自分以外の人には必ずしも通用するとは限らない常識。


例えば、僕にとっては、

嬉しい。って言葉は、そう簡単に言うものじゃない。って常識があって、

そういう嬉しいという気持ちは、涙を流すくらいじゃなきゃ言わない。って常識もあった。


自分の中のその常識は、時に、自分の人生を生きることを阻害すると思っている。


どういうことか。

嬉しいって言葉をあんまり言わない例をまた使って、書いてみる。


僕にとって嬉しい。って言葉はめちゃくちゃ嬉しい時にしか言わない言葉だった。

小さな嬉しいって気持ちは、僕自身もってるにも関わらず、だ。


僕の中の常識があるせいで、小さな嬉しいの声を出さない僕は、自分の人生を生きているとは言えなかった。


このブログで何度も書いているけど、僕は、心の声を出すことが、自分の人生を生きる第1歩だと思っているからだ。


嬉しいって言葉は、相当嬉しくなきゃ言うものじゃない。って僕の常識は、自分の人生を生きる邪魔をしていた。


もちろん大前提、自立を阻害してない常識もあると思っている。


ただ、自立を阻害する常識を持っていた僕は、

その常識を知らないために、自分が小さな嬉しいという気持ちを持ってることすら分からなくなっていた。



では、自分の中の常識は、どうやって自覚できるかと言うと、

僕は人との関わりから生まれると思う。


自分だけでは、自分の常識には中々気付けない。


僕の嬉しいという気持ちを出さないという常識も、ある人に指摘されて初めて気づいた。


常識を自覚すると、思い当たる節はたくさん出てきた。

自覚すれば、修正もできるようになってきている。


見えないものは見えない。

見えてくれば、動ける。


人との関わりが、自分の常識を浮き彫りにし、

自分の人生を生きる、手助けになる。


関わりを持って、自分の常識を見つけて見てほしいな。

って思います。


かなり個人的な意見ですが、

多くの人が、自分の人生を生きることを阻害する、自分の中の常識を持っていると思っています。

だからこそ、人と関わることも伝えたいです。


いつも読んでくれてありがとうございます。嬉しいです。


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