当たり前だけど、自分が苦しい時は、人のことなんて考えらえれない。

 

こんにちは、つきしまです。

 

毎日投稿2日目でございます。

いつも読んでくれる方、ありがとうございます。新しく読者になってくれた方も、ありがとうございます。

 

今日の話には関係ないですが、

昨日の19時頃、上野の路上で、アカペラ路上ライブをしました。

ちゃんと歌ったのは人生初で、めちゃめちゃ楽しかったです。

 

もし、ブログを見てくれてる人の中に、僕を見かけた方がいれば、何か感想やコメントいただけると嬉しいなあ、と思っています。下手くそだった。とかでもいいです。

 

僕は楽しかったです。

何人か止まって見てくれる人もいて、嬉しかったなあ。

 

さて、本題です。

今日は、全ての人が自立した未来(=全ての人が心の声の蓋を外せている未来。)

が実現したら、どんな未来が待ってるんだろう。ってのを書こうと思います。

 

僕は全ての人が自立したら、

 

全ての人が、人の幸せを望む未来

 

が来ると思っている。

 

なんでそう思うのかというと、

自分の苦しみを除くことができたら、自分や人を幸せにしたいって思う人が増えると思うから。

 

つまり、

僕の中で、心の声に蓋をする≒自分の人生を生きていない≒苦しい。

って方程式ができてて、

さらに重ねると、自分の苦しみを除くことができたら、自分や人を幸せにしたい。と思えるようになると思っているのだ。

 

例えばだけど、

恋人にフラれて悲しい思いをしてるAさんがいたとする。Aさんは誰かに悩みを相談したいけど、出来る人がいない。

そんな中、Aさんの友達に、もう少しで恋してる人と付き合えそうな段階にいる片思い中の女性Bさんがいて、BさんはAさんに恋愛相談を持ちかけてきた。

さて、Aさんは、Bさんの相談に気持ちよく乗れるかと言ったら、多分、相談には乗れないだろうな。

 

まずはAさんの苦しみを除かなきゃ、Aさんは、Bさんの幸せを望むことはできないだろうな。

ちなみに、さらに例えばだけど、この時のAさんには、

「今、つらいから、励ましてほしい」

という心の声があるけど、

「その声は出したいけど、私の辛い話なんて聞きたい人なんていないだろうな。」

って思ってるのかもしれない。これは、話を聞いてくれる人がいないから、私は辛いのから抜け出せない。と言ってる。

とも解釈できて、辛さから抜け出せない理由を、他人に委ねてるって意味で、Aさんは自分の人生を生きていない。と言えると思う。

 

もちろんAさんの周りの人も、Aさんを救う姿勢と行動を見せることも大事だとも思う。

 

話がそれた。

この具体例で、

自分が苦しいのに、人の幸せを望むことなんて、そう簡単にはできないよな。ってことが伝わったら嬉しい。よく考えれば、当たり前のことだけどね。

 

だから、心の声の蓋を外した人が溢れたら、人の幸せを望む人が溢れる未来がくると思っている。

 

では、僕は人の幸せを心から望めてるかというと、そんなことはない。

それは多分、僕がまだどこかで苦しい思いを持ってるからなんだと思う。

ただ僕自身、少しずつ苦しみが減っているのに、苦しみを除くことに力を入れてるのは、今この世の中には、苦しみを抱えてる人がたくさんいるからだ。

 

何が言いたいかと言うと、

今日のブログは100%全ての人間が自立した人間になって、苦しい思いをしてる人がこの世にいなくなった極論を想定して書いてるから、

心の蓋を外せる人が増えたら、人の幸せを望む人が増える。って書いた。

けど、現実では、苦しい人は必ずどこかにいるから、人の幸せを望む人だけでなく、人の苦しみを除きたい人も当然出てくると思う。それが僕なわけだけど。

 

今日はこれまで。何だかすごい当たり前なことを長々と書いてしまったな。反省している。

自由に書いてしまってるからいつも長くなるなー。字数も意識してみよー。

 

上野路上ライブ・ブログのコメント、待ってます。くれると嬉しいです。