許せない人はいますか?

こんにちは、つきしまです。

 

今日は前回の続きを書きます。

 

前回は、「ゆるし」について、自分が感じることを自由に書いてほしいというリクエストをいただき、ゆるしの定義を、

 

友人や身近な人の自分に対する行いを責めないことである。この時、自分とは関係ない範囲での行いは含めないこと。

 

として、書いていった。

 

僕は、過ちを犯した人だけが悪いのではなく、過ちを受けた側も何か悪いことをしている場合が多いと思うと考えてて、その考えの下で前回は話を展開してたけど、

今日は、身近な人や友人が100%、彼らが悪い過ちを犯した場合の、「ゆるし」についてどう感じるか。を書いてみます。と言って終わった。

 

でも、100%相手が悪い過ちってが中々思いつきません。しかも相手が身近な人や友人だったら尚更。って考えてたら、

友人や身近な人が犯した過ちの中で、自分の問題点ではなく、相手の問題点に目を向けて「ゆるし」について書けばいいかって思った。

 何も100%相手が悪い過ちに対するゆるしについて書く必要はないなということだ。

 

ということで、書いていく。

 

相手の問題点に目を向けて、色々考えてみたけど、

相手の過ちをゆるすってのは、過ちによって受けた自分の傷から目をそらさないことかなって結論に至った。この結論は、ゆるさないってどんなことなんだろうって考えて出た結論だ。

 

ゆるさないってのは、友人や身近な人の自分に対する行いを、責め続けるってことなはず。

何で責め続けるのかと言ったら、過ちによって傷ついた自分がいるはずで、その傷を否定したかったり、これ以上傷つかないという安全性を手に入れたくって責め続ける、つまり、ゆるさないのかな?って僕は思った。

 

そう思った経緯としてはこんな感じだ。 

⇩⇩⇩

相手の過ちによって自分が傷を負う⇨傷を生みだした原因(相手)を否定する(例.お前が悪いんだろ!)⇨相手を否定することに成功する。⇨相手が間違いなのだから、自分は間違いじゃない。つまり、自分の傷を否定できる。⇨自分は傷ついてないと思える。

 

相手の過ちによって傷を負う⇨傷を生みだした原因を攻撃する(例.何でそんなことするんだよ!死ね!)⇨相手を傷付けることに成功する。⇨相手が傷を負った結果。相手は、自分を攻撃する元気がなくなる。⇨これ以上自分が傷つく可能性が減る。⇨もう傷を負わないだろうという安全性を手に入れられる。

 

どうだろう、イメージ湧くかな。個人的にも、テーマのリクエストをもらって初めて考えたことなので、机上の空論感が否めないのだけど、的外れなことは言ってないように思える。

 

とにかく、こんな風に傷に目を向けずにいるのは、過ちをゆるない人、責め続ける人がやることなのかなと思う。

 

逆を言えば、人の過ちをゆるす人は、自分の傷から目をそらさない。

自分の傷から目をそらさないってのは、まずは、

「あぁ、自分、友人にこんなことされて傷ついてるんだなあ。」

って思うことから始まるのかなと思う。

 

で、そっから、さらに自分の気持ちに深堀りをしてくと、例えば、こんな風になる。

「なんで友人にこんなことされたら、傷つくんだろう。あ、彼は大切な人で、僕は彼にはこんな期待をしてたからだ。でもその期待を裏切るような行動を彼にされて、傷ついてるんだ。」

 

こうなれば、相手を攻撃したり、否定したりすることはなくなるのかなと思う。だって、過ちを犯した相手は大切な人だったのだから。

 

てな感じで、自分の傷と傷が生まれた原因まで分かったりすることもあるのかなと思う。

 

相手にも悪い所はあるんだよって前提で、ゆるしについて、書いてみました。

もし、許せない人が周りにいる方は、自分が傷ついているのか、まずは考えてみよう。って思える人が出てきてくれたら嬉しいな。

 

今日も読んでくれてありがとうございました。