最近、人をゆるしてないなあと感じた僕が、ゆるしについて書いてみた。

こんにちは、つきしまです。

 

木曜日に投稿ができませんでした。
卒業旅行に行っていたのです。僕は休学してもう1年大学にいるので卒業しないのですが、4年間一緒に過ごしたサークルの同期は卒業します。

 

3月は彼らとの時間を最優先にしようと決めているのでございます。

と言いつつ、現地(大阪)までは、皆と一緒に、ではなく、1人でヒッチハイクで行ったのです。(交通費節約のためとちょっとやってみたかったから。)


あれはいいですね。シンプルに、メンタルが強くなります。またいつか詳しく書こうと思います。

 

さて今日は、ある人からテーマのリクエストを受けたので、それについて書こうと思います。

そのテーマは「ゆるし」。

特に、重大な過ちを犯した友人や、身近な人をゆるすことについてどう感じるかを書いてほしい。
というお声をいただきました。

 

書いていきます。


まず、ゆるすの定義を、

 

友人や身近な人の自分に対する行いを責めないことである。この時、自分とは関係ない範囲での行いは含めないこと。

 

としよう。

 

前者の行いは、例えば恋人の浮気とか、友人が嫌な言葉を言ってくるとかかな。

後者の自分とは関係ない範囲での行いってのは、知らないところで友人が万引きしてたとか、友人が誰かと浮気した。とかかな。

 

この定義のもとで、自分がゆるすについて感じたことをかいてこう。2つくらい感じることがあって、今日は1つだけ書く。長くなっちゃいそうなので。

 

僕は、

ゆるすという言葉は、とても使いたくないな。って思ったし、あんまり好きじゃない言葉だなって思った。それぞれそう思う理由を書いてく。

 

まず、とても使いたくないなって思ったのは、

ゆるすって、他責の精神を持ってるから出てくる言葉なのかな。と思ったから。他責ってのは、問題を人の責任だと考えることだ。

 

以前のブログで、自責と他責の話を書いたから、詳しくはそこを見てほしいのだけど、

ゆるすってのは、自分じゃなくて、他人が悪いって考えてるから出てくる言葉なのかなと思う。

 

次。

あんまり好きじゃない理由は、ゆるすってすごく自分勝手で我儘な人がやる行為だと思ってしまうから。

 

自責云々の話は置いといた上でも、

現実問題、大体どんな出来事も自分が悪い所は必ずある。

 

自分が悪い所に目を向けないで、相手の過ちだけに目を向ける人がゆるすという行為をしそうだなって思っていて、

それってすごく自分勝手で我儘だなって思ってしまって嫌な感じする。

(偏った考えな気もしてるけど。)

 

例えば、浮気とかだってそうだと思っている。

浮気をゆるすという言葉はわりかし聞く言葉だけど、浮気された人は100%被害者とは言えないじゃんって思って聞いている。

 

だって浮気された人は、

愛してほしい人に、愛してもらうだけの努力をしなかった。もしくは、努力はしたけど、愛されるだけの努力ではなかった。

だから浮気されたんでしょ?って思うから。

 

厳しい言い方をすると、

愛してほしいのに、愛されるのを待ち、自分は愛される努力をしない、もしくは力を尽くさないなんて、我儘にもほどがある。ってことだ。

 

極論だけど、

真剣佑みたいな魅力的な男性の、恋人が、

食っちゃ寝、食っちゃ寝の怠惰な生活を送り、真剣佑が喜ぶようなことを何もしない。

そんな女性だったら、真剣佑だって浮気したくなると思う。

 

女性が浮気された場合を具体例に使ったけど、

もちろん男女の立場が逆転してても同じことが言える。

 

と、こんな感じで僕はゆるすという言葉は使いたくないし、好きじゃないです。

 

 

浮気の例は、僕が影響力のデカい人間だったら炎上しそうだなあ。

 

でも、

ゆるすという言葉があんまり好きじゃない理由の方が、本音に近いかな。

 

今日も読んでくれてありがとうございました!

何かリアクションいただけると嬉しいです。

 

今回は、ゆるしについて、自分にも悪い点があった場合を書いたけど、

日曜日は、100%相手が悪い行為をした場合の、「ゆるし」について書いてみます。

 

じゃあまた。