トイレは絶対洋式派の人を例にとって、自立について書いてみた。

こんばんは。

今日は、東京のオアシスのような場所に行ってきたよ。等々力渓谷です。
東京にもあんな場所あるんだね。

 

あ、次回からnoteにブログを投稿することになると思います。
hatenablogは今日で最後かも。

 

さて、今日は
自立は大事だけど、推し測り、柔軟性を持った方がいいと思う。ってことを書こう。。
これは自分でも分かってたつもりだけど、以前、友人にも指摘されたこと。

 

このブログでは、自立の解釈の1つに、

自立とは、何にも振り回されずに生きること。

ってのがある。

 

この言葉は確かにその通りだと思ってるし、個人的にはとても大事だなぁって思ってる。
でも、(特にコミュニケーションの中で)この解釈を間違うと、
あまり良くないことが起きると思っている。

 

その良くないことってのは、人の意見を聞き入れない頑固な人になっちゃうこと、
もっと言えば、自立自立!って思うほどに孤立に近づくこと。
もちろん、解釈が間違ってたらの話。

 

どういうことかって言うと、
「何にも振り回されない。」という言葉を、自分の意見しか信じないで、人の意見を聞かないこと。
と解釈してしまうと、ただの頑固で孤立した人になっちゃうだろうな。ってことだ。

 

偏った視点だけで考えて、そっから行動が生まれるから、いつも通りがずっと続く。中々、変化しない。
し、自分のもってる世界だけで終わる。偶然新たな視点を手に入れた時に、世界が少しずつ広がるくらいだ。

おまけに、人を受け入れる姿勢を持たないから、人は離れて、孤立していくことだってあるとも思う。

 

何か、例え話をしてみる。

 

トイレは絶対に洋式派の人と、和式をおすすめする2人がいたとして、洋式派は自立を間違って解釈したら、こうなると思う。

和:和式トイレってけっこうおすすめだよ。
洋:いや、絶対洋式だろ!もし和式しか空いてなくても使わないよ。もう和式なんてなくなればいいのに。
和:へーそう。和式だって、良い所全然あるのに。。。
洋:あっそうですか。僕は何を言われようと洋式です。
和:そっか、洋式は何がいいの?
洋:それはね…

とこんな感じだ。


和式派は洋式の良さを知ろうとしている。
一方で、
洋式派は和式の良い所を推し測ろうともせず、洋式トイレに固執している。
結果、洋式派は、和式トイレの良さを知れずに終わる。

 

ちょった変な例だけど、自立を履き違えるとこうなると考えている。

 

だから、自立を間違えないためには、相手を推し測る気持ちと、相手を受け止める柔軟性を持ち合わせていたい。

 

人が何を言ってきても、それを跳ね除けるのではなく、
一度受け止め、咀嚼して、その後に、それをもらうか、捨てるか選択する。


とは言っても、頭では分かっていても、いざ、実践となると難しいけどね。

人から自分に対するFBを真摯に受け止めたるのだって、十分難しい。

 

強い口調で何か言われた時なんて大変だ(お前のそれがむかつくんだよ!とか。)。
まずは感情的にならないように努め、その後は、強い口調の奥にある相手が伝えたいことを知るように努め、
そして、それを受け止めて、取捨選択する。って4つのstepがあるから。

 

話が少しそれるけど、ここで感情的にならないためには、
所属や自我の欲求が満たされていることが条件なのかなと、ふと今思った。

 

まあ、この話はまた今度考えよう。

今日は、振り回されない時でも、推し測り、柔軟な姿勢はあるといいよな。ってことについて書いてみた。

 

日曜日過ぎてしまった。

じゃあ、おやすみなさい。


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