決めたことができない時は、どうするか。
こんにちは、つきしまです。
今日は大学の授業の日でした。今日の授業は、ストレスをコントロールする方法を学ぶ授業でした。
息をゆっくり吐いて、短く吸う。
を繰り返すと心が落ち着くのだそうです。
1分くらいやると、ちゃんと落ち着くし、ちょっと疲れも和らぐので、おすすめです。
さて、本題です。
以前、自分に自信をつける方法として「決めたことを、やること」という方法があるって記事を書いた。今日の記事は、「決めたのにできない」って悩みに向けて、僕が書けることを書いていく。
決めたことをやるためには、何が大事だと思うかというと、
「強く決めること。」
だと思っている。
何か特別な答えを期待してしまった人には、単純な回答すぎて申し訳ないけど、決めたことをやるにはこれが大事だと体感してる。
そしてこれ、単純に見えるけど、案外できない、というより、いつの間にかやらなくなってることが多い。
強く決める決め方と、そうじゃない普通の決め方にどんな違いがあるか、すごく説明が難しいのだけど、僕が、強く決める時と普通に決める時、どんな違いがあるか、具体的に書いてみる。
決める内容を、明日7時に起きることだとする。
強く決める時は、
明日は絶対に7時に起きる。何があっても起きる。マジで起きる。よし、寝る。
ふつうに決める時は、
よーし、明日は7時に起きよー!
みたいな違いが、僕にはある。
んー、あんまりうまく説明できないなあ。。。
言葉が違うのは誰が見ても分かると思うし、断定的な言葉遣いは大事だとは思う。本田圭佑の作文とかも、言葉遣いが有名だったもんね。
でも、単純に言葉だけ強くすればいいのかというと、それではあんまり効果はないように思う。言葉よりも、意識の問題。頭の中の意識を、決めたこと一色にするんだ。
一色にした結果、自然と言葉遣いも断定的になって変わるような気もしてる。
(あえて断定的な言葉遣いに使って意識を高めるっていう、言葉⇨意識の流れで決めることもあると思うけど、本来は、意識⇨言葉が理想だと思う。)
てな感じで、強く決めてる状態ってのは、決める内容を、頭に浸み込ませることが出来てる状態だと思う。
どうやったら、その状態になってるって分かるの?と聞かれたら、残念ながらそれは今の僕には答えられない。
けど、決めたことが実行できる時、つまり強く決めることができてる状態になる時に僕がやってることなら書ける。
それは2つある。
1つは、決めた内容を文字にして書くこと。
他の人はどうか分からないけど、僕は文字を書いてる時、良くも悪くもあんまり他のことが頭に入ってこない。だから、決めた内容を文字にしてると、頭には文字にしてる決めた内容以外何も入ってこなくなるんだ。
そうするとさっき言った、決めたことが頭に浸み込んでる状態に近づいて、強く決めることができてる状態になれるんだと思ってる。
ちなみに、決めたことを書くときは、決めた内容だけ書くのはあんまりおすすめしない。だって、内容だけだったら、文字数少なすぎて、すぐ書き終わっちゃうから。
そこで僕は、
どうしてそれをやりたいのか、それが出来たら何がいいのか、だから僕は絶対に決めたことをやりたい。
ってな感じで、やる動機や、メリットとかも書いてみるのをおすすめしたい。そうすれば、ある程度文字数も増えて、決めた内容を文字にしてる時間は質的にも量的にも増える。
2つ目は、決めるタイミングを、行動する直前にすること。
行動をする直前に決めると、決めたことが頭に浸みこんだばかりの状態で行動に移れるから、強く決めた状態のまま、行動に取り組めるんだ。
(ただ、これは決める内容によってはできないことがある。)
さっきの例えをまた使うけど、明日7時に起きたい時に、
寝る直前の布団で目を閉じた時に、明日は7時に起きるぞ。
って決めるのと、
2日前くらいに、明後日は7時に起きるぞ。
って決めるのとでは、
どちらが頭に決めた内容が浸み込んでるかなんて、一目瞭然だ。
他にも、ブログの作業に集中したい時も、
ブログ書く直前に、
ケータイも漫画もテレビもドラマも見ないで、90分ブログに集中するぞ。
って決めるのと、
ブログを書く前日に、
明日ブログ書く時は、ケータイも漫画もテレビもドラマも見ないで、1時間ブログに集中するぞ。
って決めるのとでは、
直前に決めた方が、頭に決めた内容は残りやすいはずだ。
というように、
決めた内容を文字にして書くことと、行動の直前に決めること。
この2つが、僕の知る、強く決めた状態になれる方法だと思っている。
これやったら、大体決めたこと出来るんだけど、決めたことをできる習慣が少しついてきて、慣れてくると、僕はこの2つをやる手間を怠ってしまう。
そうすると、初めの内は、「決めて、やる」が習慣になってるから、決めたことをできる日が続くんだけど、しばらく経つと、決めたことができなくなってしまうのだ。
例えば1ヶ月毎朝7時に起きると決めるとする。
最初の2週間は、上の2つの手間を惜しまずに、強く決める状態にをキープしたおかげで、7時に起きることができる。3週目からは、2週間起きれたんだから、もう大丈夫だろうって油断して、2つの手間を怠るようになる。でも、3週目は2週間起きれたし習慣化して間もないから、その手間を怠っても起きれるんだけど、4週目からは習慣が乱れ始めて起きれなくなってしまう。
みたいなことがあるのだ。
なので、歯磨きレベルの習慣になるまでは、この2つの手間は惜しまない方がいいと思う。僕もけっこう油断して、この手間を怠り、決めたことができないことがあるので、これは自分への戒めでもある。
もし、2つの方法を実践してくれる人がいたら、油断しない方がいいよ。すぐ習慣は乱れちゃうから。
強く決めた状態ってのはどんな状態か、そしてその状態になるためにできる2つのこと、これに取り組むときの注意点を書いてみた。
決めたことができない人がいたら、やってみたら少し変わるかもしれないね。
今日も読んでくれた人ありがとう。
長くなっちゃった。またねー。
Give&Take?Give&Give!
こんばんは、つきしまです。
最近就活をしてて、ある会社の社長さんのお話を聞く機会がありました。
そこで印象に残った話を今日は書こうと思います。
不満をもってつまらなそうに仕事をする人はどんな人か。という話をしてもらいました。
社長さんが言うには、「自己の重要感」が満たされてない人が、仕事に不満を抱える人なんだそうです。
自己の重要感が満たされてない人というのは、人に何かを与えてもらうことを待ってる人だそうです。Give&Takeでいう、Takeしてもらうのを待ってる人です。
Giveもせず、Takeを待ってる人は、自分自身が、誰かにとって自分になることができないため、代替可能な人であり、自己の重要感が湧いてきにくい人であるから、仕事をつまらないと思って取り組みがち。
ということでした。なるほどなあと思った。
この話を聞いて僕が思ったのは、何かに人生を委ねてる人は人生を楽しめない上に、これからの社会では特に淘汰される傾向が高いのかなということだった。
なぜ急に、何かに人生を委ねてるというフレーズが出てきたのかというと、
Takeされるのを待つ=人生を自分以外の何かに委ねている
と思ったからだ。このブログでは、人生を自分以外の何かに委ねる。ってフレーズが何度も出てくるので、上の等式が生まれる理由が分かる人もいると思うが一応書いておこう。
Takeするかどうか決めるのは自分じゃなく、Takeする人だ。
だからもしTakeされなきゃ人生を楽しめないなら、それは人生を楽しめるかどうかをTakeする人に委ねてるってことだと思うんだ。つまり、Takeされるのを待ってる人は、自分が人生を楽しめるかどうかを人に委ねてるってことなんだ。
また、Takeしてもらうことを目的にGiveする人も同様に、人生を委ねていると言えると思う。理由は同じで、Takeされるかどうかは、自分じゃなくて人が決めるからだ。
淘汰されると思ったのは、代替可能な人ってのは、これからの社会では必要とされなくなってしまうのではないかなと単純に思ったからだ。
こんな感じで、
僕はその社長さんの話を聞いて、やはり自分の人生の責任を自分に置いてる人が、社会でも楽しくやっていけるのだなと強く思った。
ちなみにもちろん、僕もGiveしたらTakeされたいなって思うこともあるけど、
この話を聞いて、Takeを目的にGiveする、ではなく、Giveを目的にGiveする自分になりたいと思ったし、そんな自分に近づくきっかけを手に入れたと思っている。
このブログは誰かにGiveできてるのだろうか。このブログに関しては、Takeされたいという気持ちはほんとに全くない(コメントもらえたりしたら嬉しいけどコメントはTakeとは別物だ。)。
だから、Takeを全く求めてないこのブログが誰かに何かをGiveできてるのだとしたら、最高だなって思った。
思い返せば、Take目的でGiveしてきたことはこれまであったけど、Give目的でGiveしたこともちゃんとあったなあ。自信つくなあ。
けっこう長い間ぶつかってたGive&Takeについての問題が解決で来たので、この話を聞けてよかった。
それじゃあ、またね!
いつも読んでくれる人、ありがとう。
今日のブログタイトル、はっちゃけてるなあ(笑)
主体性は、人を魅了するのかもしれない。
こんばんは、つきしまです。
僕こないだディズニーシー行ってきました。
タワテラ20分で乗れたのがビビりました。僕は並ぶのがあんまり好きじゃないから、
ディズニーもすごい好きなわけじゃないんですけど、今回はたくさん乗れて楽しかったです。
で、ディズニー行って思ったのですが、
多くの人は自分の人生を生きることに憧れを持ってるのかなってことを思いました。
ディズニーのキャストさんの仕事でカストーディアルってお仕事を知ってますか?
パーク内を掃除して回ってるお仕事です。
彼らの仕事の仕方と、そんな彼らに対する人々の印象を知って、多くの人が自分の人生を生きることに憧れを抱いてるんじゃないかな。
って思いました。
まず、彼らの仕事の仕方はとても主体的です。
よく見る彼らの仕事と言えば、当然ゴミを集めること、つまりパーク内の清掃がメインだと思いますが、
それよりも印象的なのは、雨上がりの水たまりで、キャラクターの絵を書いたりしていることだと思います。
ディズニーキャストの代名詞と言っても過言ではないサービスかもしれません。
つい、立ち止まって見てしまいますよね。
あれってキャストさんがやりたくてやってるらしいのです。
正確には、「ゲストが期待する以上のサービスをしなさい」と言われているだけのようで、
絵を書くことは強制されているわけではないみたいです。
つまり、
キャストさんが、ゲストを楽しませたいから、水たまりを使って絵を書くことを選択しているということです。
自分がやりたいと思ったことを実現するための行動を自分で選択する。とても主体的だなと思いました。
また、何よりも僕が驚き、主体的であることに多くの人が憧れを抱いてるんだなと思ったのは、
ディズニーキャストの仕事の中で、最も人気がある仕事がカストーディアルだという事実を知った時です。
カストーディアルってお仕事は言ってしまえば掃除係です。もちろん、水たまりで絵を書いたりするのはインパクトが強いことは強いのですが、
それは仕事の中のごく一部なわけで、本質的にはパーク内の清掃がメインの仕事で、多くの時間はそこに割かれるのだと推測しています。
掃除の仕事というのはもちろん素晴らしい仕事だとは思いますが、一般的には地味で楽しくないイメージがあり敬遠される仕事だと思います。
にもかかわらず、人気No1。
よっぽど彼らの自由で主体的で何より楽しそうな仕事ぶりに、憧れや尊敬の気持ちが湧かなければ、掃除の仕事に持たれる負の印象が覆る、
つまり人気No1の仕事に位置づけられることはないだろうって思ったのです。
だから、人気No1という事実を聞いて、主体的であることに多くの人は憧れを抱いてるのかなと考えたのです。
掃除の仕事だってあれだけ楽しそうにできるんだから、どんな仕事でも主体的になれば自分が楽しむ方法はいくらでもあるんだと思わせてもらいました。
ディズニーって主体性だけで成り立ってる場所なんじゃないかとすら思えてきました。
空いてる時にまた行きたいなあ。
キャストさんすごいな、ディズニーすごいなって思った、楽しい1日でした。
それじゃあ、またね!
大学の授業は素晴らしい。
こんばんは、つきしまです。
日曜日投稿の日です。
毎日投稿が終わって、気持ちは楽になったけど、なんか1日が物足りないなあって思います。書くの大変なんだけど、けっこうやり甲斐はあるんだよねえ。
つきしまは、去年の4月から1年間休学してたんだけど、とうとう4月に入り復学しました。そして、先週は1年ぶりの大学の授業でした。
なので、今日は久々に大学の授業受けて思ったことを書きます。
結論から言うと、大学の授業って、素晴らしいなって思いました。
恥ずかしながら、僕はこれまで特に深く考えずに大学の授業を選択してた。
いわゆる「楽タン」と呼ばれる授業に抽選応募して、受かったら喜び、落ちたらちょっと単位とるの大変だけどまあまあ楽タンな授業を探し、、、
そんな風に4年間授業とってきました。
もったいないことしたなって心から思ってます。
今期僕は、楽タン云々は考えずに、自分が受けたい授業を選択しました。そうして、既に2コマ授業を受けたんですが、どっちも本当に素晴らしい時間だった。
素晴らしいと思った理由は色々ある。
まずは、学びたいことが学べる上、理解が深まるから。
僕は今期、「他者理解」や、「刺激反応論」についての授業を受けてるんだけど、ほんとに面白い。
へえーそうなんだー。みたいなことから、
うわ!たしかに!ってことまで、
たくさん学べて本当に面白いし、既に知ってることでも理解が深まる。
事実僕は、以前の授業で、
感情と論理の考え方について、とてつもなく大きなパラダイムシフトが起きた。本当にこれ聞いた時は感動した。
これまで何年もひっかかってたことに、新しい視点をもらったことで、一瞬で解決した。
ほんとに受けてよかったなって思った。
具体的にどんな視点をもらったかは、書かない。これは僕がずっと抱えてた問題だから、書いても仕方ないと思うし、書いても伝わらないと思うから。
学びたいことなんてねえよ!って人もいるかもしれないけど、ちょっと興味ある授業受けるだけでも、楽しいと思うなあ。大学って授業たくさんあると思うからさ。
やっぱりお金(学費)払ってるだけあっていい授業だなって思ったなあ。
休学中、僕はお金払って色々学ばせてもらったんだけど、どれも素晴らしい学びを手に入れた。もちろん世の中には、お金払うだけ払って中身はひどい商材。もあると思うから、僕が運良かったってのもあるけどね。
でもこの休学中のような、お金払って手に入るものの価値の高さをもっと早くから知ってたら、大学の授業に対する姿勢も変わってただろうなって思う。
大分話がそれた。でも受ける姿勢も大事だ。
素晴らしいと思った理由2つめは、主体性が試されるから。
勉強ってそもそも主体性ありきのものだと思うけど、大学の授業は特にそうだなって思う。
大学の教授って基本的に学生に勉強を強いることはないし、授業聞いてなくても怒る人はそんないないし、宿題も出さない人いるし。
ほんとに自分から勉強しようとする姿勢がなきゃ、何も手に入らないのが大学の授業だ。なのに、主体的な姿勢がなくても、試験数日前に勉強すれば単位が取れるようになってるのも良くない仕組みなのかな。とか思ったりするけど、まあそれは別の話。
とにかく大学の授業は、
学びを手に入れるかどうか、その学びをどれだけ深くするか
がすべて自分の責任になる、という意味で、かなり主体性が試される場だと思う。
大学の授業でめちゃくちゃ大きな学びを手に入れることは、同時に高い主体性の象徴でもあると思うから、素晴らしい時間だ。
てな感じで、大学の授業は素晴らしいと思う。
たしかに、話し分かりにくい教授や、分かりにくいプリントや板書を書く教授もいるかもしれないけど、そんな教授の改善点だけじゃなくて、教授の良い所に目を向けたら、たくさん吸収できるものあると思ったなあ。
これ読んでる大学生で、授業あんまりちゃんと受けてない人いたら、一回授業に対する姿勢、変えてみてもいいかな。って思うかなあ。
今日も読んでくれてありがとうございました。
大学の授業は素晴らしい。
こんばんは、つきしまです。
日曜日投稿の日です。
毎日投稿が終わって、気持ちは楽になったけど、なんか1日が物足りないなあって思います。書くの大変なんだけど、けっこうやり甲斐はあるんだよねえ。
つきしまは、去年の4月から1年間休学してたんだけど、とうとう4月に入り復学しました。そして、先週は1年ぶりの大学の授業でした。
なので、今日は久々に大学の授業受けて思ったことを書きます。
結論から言うと、大学の授業って、素晴らしいなって思いました。
恥ずかしながら、僕はこれまで特に深く考えずに大学の授業を選択してた。
いわゆる「楽タン」と呼ばれる授業に抽選応募して、受かったら喜び、落ちたらちょっと単位とるの大変だけどまあまあ楽タンな授業を探し、、、
そんな風に4年間授業とってきました。
もったいないことしたなって心から思ってます。
今期僕は、楽タン云々は考えずに、自分が受けたい授業を選択しました。そうして、既に2コマ授業を受けたんですが、どっちも本当に素晴らしい時間だった。
素晴らしいと思った理由は色々ある。
まずは、学びたいことが学べる上、理解が深まるから。
僕は今期、「他者理解」や、「刺激反応論」についての授業を受けてるんだけど、ほんとに面白い。
へえーそうなんだー。みたいなことから、
うわ!たしかに!ってことまで、
たくさん学べて本当に面白いし、既に知ってることでも理解が深まる。
事実僕は、以前の授業で、
感情と論理の考え方について、とてつもなく大きなパラダイムシフトが起きた。本当にこれ聞いた時は感動した。
これまで何年もひっかかってたことに、新しい視点をもらったことで、一瞬で解決した。
ほんとに受けてよかったなって思った。
具体的にどんな視点をもらったかは、書かない。これは僕がずっと抱えてた問題だから、書いても仕方ないと思うし、書いても伝わらないと思うから。
学びたいことなんてねえよ!って人もいるかもしれないけど、ちょっと興味ある授業受けるだけでも、楽しいと思うなあ。大学って授業たくさんあると思うからさ。
やっぱりお金(学費)払ってるだけあっていい授業だなって思ったなあ。
休学中、僕はお金払って色々学ばせてもらったんだけど、どれも素晴らしい学びを手に入れた。もちろん世の中には、お金払うだけ払って中身はひどい商材。もあると思うから、僕が運良かったってのもあるけどね。
でもこの休学中のような、お金払って手に入るものの価値の高さをもっと早くから知ってたら、大学の授業に対する姿勢も変わってただろうなって思う。
大分話がそれた。でも受ける姿勢も大事だ。
素晴らしいと思った理由2つめは、主体性が試されるから。
勉強ってそもそも主体性ありきのものだと思うけど、大学の授業は特にそうだなって思う。
大学の教授って基本的に学生に勉強を強いることはないし、授業聞いてなくても怒る人はそんないないし、宿題も出さない人いるし。
ほんとに自分から勉強しようとする姿勢がなきゃ、何も手に入らないのが大学の授業だ。なのに、主体的な姿勢がなくても、試験数日前に勉強すれば単位が取れるようになってるのも良くない仕組みなのかな。とか思ったりするけど、まあそれは別の話。
とにかく大学の授業は、
学びを手に入れるかどうか、その学びをどれだけ深くするか
がすべて自分の責任になる、という意味で、かなり主体性が試される場だと思う。
大学の授業でめちゃくちゃ大きな学びを手に入れることは、同時に高い主体性の象徴でもあると思うから、素晴らしい時間だ。
てな感じで、大学の授業は素晴らしいと思う。
たしかに、話し分かりにくい教授や、分かりにくいプリントや板書を書く教授もいるかもしれないけど、そんな教授の改善点だけじゃなくて、教授の良い所に目を向けたら、たくさん吸収できるものあると思ったなあ。
これ読んでる大学生で、授業あんまりちゃんと受けてない人いたら、一回授業に対する姿勢、変えてみてもいいかな。って思うかなあ。
今日も読んでくれてありがとうございました。
1週間の毎日投稿を達成して思ったこと。
こんばんは、つきしまです。
とうとう来ました。毎日投稿7日目。
たかが7日間の連続投稿なので、他のブロガーさんからしたらちょろいもんなのかも分かりませんが、僕にとっては、進歩です。
毎日投稿最終日ということで、今日は1週間続けた今の自分の状態について、毎日投稿して分かったことや思ったことについて、等々を書いていこうと思います。
読んでくれてる人のためになるかは疑問だけど、書いてこー。
まずは、今の状態①
今は、少し自信がついた。このブログを熱烈に読んでくれてる人がもしいたなら、その理由は分かるはず(笑)
その理由ってのは、自分がやると決めたことが出来たから。
このブログ、書くのはそれなりに時間はかかるし、自分なりにだけど「こんな風に書けば読みやすいかなー。」とか考えて書くので、エネルギーもまあ使う。
それを1週間続けると決めて、達成できたので、少し自信はついた。
ただ、少ししか自信がつかなかったのは、この1週間、比較的スケジュールに余裕があったからだ。
というのも、以前にも1週間の毎日投稿に挑戦したことがあったのだけど、その時は、結構忙しくてブログに手が回らなくなり、続かなかった。
前回と似た条件で1週間続けられてたらけっこう自信ついてただろうなあ。
なので次は、ハードスケジュールの中でも継続することが目標かな。
でもとりあえず、ちょっと自信付きました。
今の状態②
包み隠さずに言うと、ネタがなくなってきた。ブログのネタだ。
今日のブログも含めて、これまで28記事書いてきたが、テーマが比較的一貫してるのもあって尽きてきた。
間違いなくインプットが足りていない証拠だ。
経験によるインプットや、本やテレビなど自分以外の何かから手に入れるインプットが不足し始めている。
買ったけどまだ読み切れてない本や、昔買った本を読み返したり、あとは社会にも目を向ける。自分自信も課題意識をもって行動・経験・生活をする。
こうやって、たくさんインプットしてこう。
とりあえず、ネタが尽きかけてます。
次は毎日投稿して分かったこと書く。
分かったこと①
およそ30人、自分のブログを欠かさず読んでくれてる人がいる(と思われる。)。
実はハテナブログって、アクセス解析って言って、その日に自分のブログにアクセスした人の数が匿名で分かるようになってるんだ。
その機能を使ってここ1週間のアクセスを振り返ったら、毎日約30人は必ずアクセスしてくれてるてことが分かった。
たぶんこの30人は、大体同じ人たちで、欠かさず読んでくれてる人なのかなって思ってる。
週2日投稿だった時は、もっとアクセス多かったんだけど、毎日投稿にしたら、アクセスが30人前後で一定になったからさ。
30って数字自体は満足してないけど、それでも毎日見てくれる人がいることはとても嬉しい。
30人の人、ありがとう。
とりあえず、30人、欠かさずブログを読んでくれてる人がいることが分かりました。
分かったこと②
自分の文章めちゃくちゃ読みにくい。
昨日、ふと自分の過去のブログを読み返したんだけど、すごく読みにくかった。
もちろん読みやすい文章にする工夫はしてるけど、日をあけて読み返すと、中々、読みにくいなって思った。文と文に飛躍があったり、接続詞が変だったり。色々読みにくい。
あと、自分の文章は多分、重複が多い。抜けがあるよりはいいけど、しつこい文章なのだ。
とりあえず、自分の文章がめちゃくちゃ読みにくいということが分かりました。
最後に、思ったことを書く。
思ったこと①
もっとたくさんの人に読まれたいし、感想をもらいたい。
そう思った。アクセス数もっと伸ばしたいし、コメントもブックマークもブログテーマのリクエストもたくさんしてもらいたい。
そのためには、やっぱり相応の努力と、継続する忍耐がいるんだろうなあ。
あと、たくさんの人にこのブログから何か持ち帰ってもらうためには、
このブログを安くてもいいので有料にすることってけっこう大事だなって、ある人に言われて、確かになって思った。
無料だと気軽に読んでしまい、読んで終わりになりがちだからだ。
1円でもいいので有料にして、このブログを読むときの姿勢を変えてもらえたら、また手に入るものは変わってくるだろう。ってことだ。
ブログを書く側の努力と、読む側の努力、双方が成り立てば、きっとお互いWin-Winになる。
まあ、ブログを書く側(僕)の努力が圧倒的に足りてないから、読む側の姿勢を変えられていないのが大きいとは思うけどね。
以上、毎日投稿を1週間だけど続けてみて、思ったことなりを書いてみました。
これからは一旦、週2日投稿に戻すけど、これからも読んでくれたら嬉しいなあ。
そして、明日は木曜日だから、本当はブログ更新日だけど、休もうかな!休憩!笑
気が向いたら書くかもだけど!
日曜日には確実に再開します!
1週間読んでくれた人、1回でも読んでくれた人、ありがとう。
これからも、よろしくお願いします!
またね!
自分に自信を持つ方法を思い出したので、また書いてみた。
こんにちは、つきしまです。
前の作業が想像以上に長引き、毎日投稿が危ぶまれていて焦っています。
今日あった嬉しかったことについて、書いてきます。
とは言ってもただの日記みたいにはしません。
これは、自分に自信をつけることにもつながると思うので、参考にしてみて下さい。
以前、自分に自信がない人へというタイトルで書いたブログに、僕が自分に自信を持つことが出来た時のことについて書きました。
(気になる方はコチラ⇩⇩⇩)
tukishima-three.hatenablog.com
このブログに書いてないことで、
僕が自分に自信を持つことができた出来事を今日、思い出したので、書きます。
その出来事とは、自分のいいところを人に聞くことです。
僕は約30人規模の、あるコミュニティに所属してるんだけど、そこに所属してる人、ほぼ全員に自分のいい所をラインで聞いたことがある。(もっとこうした方がいいと思う所も同時に聞いた。)
そのラインをスクショしてるんだけど、それを今日見返して嬉しい気持ちになった。というのが今日あった嬉しい出来事です。
中々、元気がでるし、自信がつくよ。
僕が聞いたときは、コミュニティの人ほぼ全員に聞いたんだけど、
多くの人は何個も自分の良い所言ってくれたから、一気に50個くらい自分の良い所を教えてもらえたんだ。もちろん、内容の重複はあったけど、皆が各々の言葉で僕の良い所を教えてくれたこともとっても嬉しかったの覚えてるなあ。めちゃめちゃ長文で送ってくれる人もいたし。
今日、それを見返してて「あ、これめっちゃ自分に自信つく方法じゃん!」って思ったから、ブログに書いてるんだ。
人から自分のいいところ言ってもらえたら、自分に自信つくよね。
それにこんな簡単な方法はない。確かに聞くのは恥ずかしいけど、ちょっと勇気出すだけで、自分に自信が持てるのだから素晴らしい方法だと思う。
自分の力だけで自分に自信を手に入れること出来るなら素晴らしいと思うけど、
自分の力だけじゃ自信がでない時はおすすめの方法だよ。
自分でも気づかない良い所が見つかるかもしれないしね。
で、これ聞く時のポイントが2つあると思うんだ。
1つ目は、ライン(ラインに限らず、チャット上)で聞くこと。
これは、直接聞くのが恥ずかしい人向けのポイント。直接聞くのは、中々勇気いるし、何よりちょっとふざけて聞いちゃうから(少なくとも自分はそう)、あんまりいい答えがもらいにくい。
それに直接だと、聞く自分も恥ずかしいけど、話す相手も恥ずかしいだろうから(少なくとも自分はそう)、
直接じゃなくて、ラインで聞くのは、相手のためにもなると思うなあ。
それにラインの方が、相手にしっかり考える時間を与えることもできそう。
2つ目は、相手が感じている自分の良い所を教えてもらったら、具体的に自分のどんな発言や行動を見て、良い所だと感じたのか聞くこと。
つまり、良い所だと言える根拠を聞くってことだ。
これはかなり大事だと思う。
例えば、
「君の良い所は、何事にも向き合うことだと思う。」
って言われた時、もしこれが自分に自覚のない良い所だったら、これを聞いて納得するだろうか?
まず、しないと思う。
自分のどんな行動や発言が、「何事にも向き合う」ように見えてるのか聞かなければ納得しないと思うし、聞くことはとても役に立つ。
また「何事にも向き合うこと」に自覚があったとしても、どんな行動を見てそう思ったのか聞いておくことは、とっても役に立つ。
何に役に立つかというと、自分の強みを活かすことに役立つと思う。
自分のどんな振る舞いが、良い所だと思われるきっかけになったのか分かれば、
それ以降自分は、教えてもらった良い所を意図的に発言・行動できるようになる。
つまり、自分の強みを活かせるようになるわけだ。
教えてもらった良い所の根拠を聞くことの大切さが伝わっているだろうか?
とにかく、良い所を教えてもらっても根拠を言ってもらえなかったら、どんどん聞いちゃえばいい。
いい所教えて!って言ってる時点で、恥じらいなんて捨ててるだろうからね。
と、こんな感じで、
自分に自信を手に入れた時のことを思い出したので、書いてみました!
これ読んでる人、友達とかに聞いてみるといいかもね!元気になるよ。
いつも読んでくれる人、ありがとう!
じゃあ、また明日ね。
間に合った。。