初めての自動車免許の更新で受ける講習は、つまらなくない。

こんばんは、つきしまです。毎日投稿5日目。前回、毎日投稿に挑戦した時は、4日で終わったので、記録更新です。

あと2日、相当なことがない限り、続けます。

毎日はやはり大変ですね。

 

今日は、

「主体的な人は、集団という場においても傍観者になることはない。自分にとって有意義な場になるように努力してる。」

という、僕の尊敬する方が仰っていた言葉について、今日僕が感じたことを書いてきます。

 

その前に、まずは、この言葉をちゃんとイメージしてもらう必要があるので、まずは説明をする。

主体的って言うのは、

自分の人生の責任は自分にあると心から思えている、かつ、それが表れる行動もできてる状態のこととする。

自分の人生の責任は自分にあるというのは、人生を楽しくするか、つまらなくするか、人生がどうなるかは全て自分に委ねられていて、他人に依存するものではない。ということだと思ってもらえればいい。

伝わってるかな?

 

そして、

集団における傍観者ってのは、自分は集団の一部であるにも関わらず、集団の成り行きをただ見ているだけの人だ。

要は集団の成り行きに自分の人生を委ねているような状態ってことだ。確かに、主体的ではないように見える。

僕の尊敬する人いわく、傍観者というのは、例えば、

会議のミーティングでほとんど発言しない人

などが当てはまるようだ。

 

これらを踏まえて、

「主体的な人は、集団という場においても傍観者になることはない。自分にとって有意義な場になるように努力してる。」

という言葉について僕が今日思ったことを書いていく。

 

僕は、今日傍観者になってしまった時があったんだけど、何をすれば、主体的な人になれたんだろう。って考えた結果をここに書いていく。

 

まずは、今日何があったかから書く。

今日は自動車免許の更新に行ったんだけど、そこで2時間の講習を受けた。その時に、傍観者になってしまった。

 

講習ってのは、交通安全や運転上の注意などを、教官の話を通して学習する時間だ。授業みたいなもんだ。

 

受けたことがある人は分かるかもしれないけど、この講習は中々退屈だ。まして僕は、自動車にはほとんど乗らないので、尚更退屈だった。

そのせいか、2時間という講習の時間をウトウト眠くなりながら過ごしたり、何か内職をするわけにもいかず(内職がバレるともう1度講習を受けることになる)、右から左へと聞き流すようにしていた。

 

こんな感じで、講習の2時間、傍観者だったと言える。

 

では、この講習の時間を自分にとって有意義なものにするために何ができたんだろう?

3つ思いついたので、書いてみる。

 

 

まず2つは、

この教官の講習の進め方ですごいと感じること、反対に、良くないと感じることを盗むことができたはずだ。

僕は、将来やろうと考えてる仕事に、研修に近い仕事内容がある。それこそ、この講習のように、1対複数で話すようなこともある。だから、何か手に入れるべきものは、あったはずなのだ。

 

今振り返って、すごいと感じたのは、

2時間という講習を予定通りに終わらせる段取りの良さ。

 

良くないと感じたのは、

講習の双方向性が低く、教官が一方的に語らうだけの場だったこと。

 

などが思いつく。パッと今思いつくのは各1つずつだけど、これだけでも、双方向性を意識した研修や講習をつくろう。具体的には、質問をたくさんしたり、ワークを導入したり、等々があるな。って、実体験を通して分かる。

講習の時から、リアルタイムで主体性を意識してたら、もっと盗めたものはあったはずだ。

 

そして、講習を自分にとって有意義にするためにできたこと3つ目。

それは、教官が気持ちよくしゃべれる場づくりをすることだったと感じている。

例えば、目を見て教官の話を聞いたり、適度に教官の話に相槌をうったりなどがある。これによって、教官の講習へのモチベーションをあげることはできたはずだ。

(この相槌の考えは、僕の尊敬する人に既に教わっていたことだったので、今日の講習に応用できなかったのは反省している。)

 

教官の講習へのモチベーションがあがることの何が自分にとって有意義かって言うと、

気持ちよく喋ってもらえることで、上に書いたような教官から盗むものが増えてたのかな。と思っている。

 

また、相槌うってくれるこいつにもっと話したい!って、教官に思ってもらえたら、双方向性の上がった講習にもなってたかもしれない。

 

てな感じで、僕が自動車免許更新の講習で出来たことは、今分かってるだけでも、これだけあったんだ。多分、探せばもっとあるはずだ。

(講習の本来の目的である、「交通安全や運転上の注意の学習」からは外れてしまっているけど。。。)

 

これから大学の授業が始まったり、社会人の人は研修中だったり、一見すると受け身に感じる時間が増えてくるかもしれない。

けどそんな時間も、自分にとって有意義な時間にする方法はきっとある。

僕もこうやって、これからの授業受けよう。って今日の講習で思いました。

 

長くなったけど、今日も読んでくれた人、ありがとう。

また、明日も読んでくれたら嬉しいです。

 

またね!

ダラーっと過ごしたくない人へ、自戒をこめて

こんばんは、つきしまです。

毎日投稿4日目です。順調です。 

 

今日は、僕が今日発見したことについて書きます。

今日、僕は、朝に自転車の修理をして、昼から昼過ぎまで肉体労働をして、その後家にいました。

で、家に帰ってからは、けっこうダラーっとしてしまいました。

その代わり、なんでダラーとしちゃうのか少し分かったので、誰かの参考になればいいなって思って書きます。

 

今日に限らず、ダラーっとする理由は4つくらい見つけました。

ただ、前提ですが、何かやろうとしてるタスクがある状況にもかかわらずダラーとしちゃう場合について書いてきます。

 

理由①②③は作業を始める前にダラーっとする理由、理由④は作業の最中にダラーっとする理由について書きます。

では、書いてきます。

 

理由① 「取り組んでも、どうせできないから、どうせ分からないから、やらない。」

僕は、できないことや分からないことにぶつかると、頭の中に何も入ってこない状態になる。そして、僕はこの状態がすごく嫌い。

だから、取り組もうとしてる作業が、できなそうな作業や、分からなそうな作業だと、取り組むまでに時間がかかり、中々ダラーっとしてしまうのだなって分かった。

 

特にアイデア的要素の強い作業はこれに陥ることが多い。

イデアって出す時には、ある程度の法則みたいなものはあるとは思うんだけど、

その法則すらあまり持ち合わせてないことが分かってる作業だと、作業に取り組むまでが億劫になりやすい。

どうせアイデア出ないだろうなあ、ってなる。事実、僕はアイデアが必要な作業は、中々これだ!ってのが出てこなくて、けっこう時間がかかる。

 

イデア作業以外にも陥ることはあるけどね。

 

理由② 肉体的な疲れ

これはシンプル。

疲れてるから、作業をやる元気がない。

 

理由③ 作業をやることへの怖れからの逃避

やりたい作業に、やるのが怖い作業があると、作業に取り組めず、ダラッとするという行動になることがあると気付いた。

 

例えばそうだなあ、

別れたくないけど何かの事情で、恋人と別れなければいけないとする。そして恋人に別れを告げる日程を決める。って作業があったとする。

日程を決めたら、別れを告げなくちゃいけなくなるから、怖くて決められない。ダラッとしちゃう。

みたいな感じだ。

 

要は、怖れからの逃避として、ダラッとするという行動が現れるわけだ。

 

理由④は、作業の最中にダラーっとしちゃう理由。

理由④ 分からないから

理由①とほぼ同じだ。今やってる作業が煮詰まったり、分からなくなったりすると、ダラーっとしちゃうってことだ。

僕の場合、分からない時は、頭に何も入ってこなくなりがち。

だから頭に何か入れておきたくて、音楽聞いたり、ケータイ触ったりって行動になるのかな。ってことが分かった。

理由①と同様に、アイデア的要素が強い作業をやる時に陥りがちだ。

 

こんな感じで、ダラーっとする時の理由4つ、あげてみた。まだまだ、たくさんあるんだろうけど、今のところ全部に共通して言えるのが、

コンフォートゾーンに戻りたい欲から生まれてる理由ってことだ。

つまり、理由①~④を乗り越えることがストレッチゾーンだったってことだ。

 

当たり前と言えば、当たり前なのかな。これ。

でも、これ分かったのは自分としてはかなり大きい。

分かったと言うよりも、ダラーっとしてしまう原因に、「ストレッチゾーンに飛び込むことに怯んでいる」という名前をつけることができたことが大きい。

 

名前がつくと克服しやすくなるから。見えない敵は倒しにくいのと似てるって言えば伝わるかな?

 

ストレッチゾーンに飛び込みたい欲は意識的には持っているので、理由①∼④の克服がストレッチなのであれば、事実、今、飛び込んでやろうって思えている。

 

これまでストレッチなことをしてきた自信はあって、それをやった先に見えた景色は、未だ悪い景色だったことはないから。

これらを克服することがストレッチだと分かった今、もう越えられる。

 

分からない時に考え続けることはこれまでもできてたんだから、その時間を長くしよう。

怖いことに踏み込む勇気は少しずつ持ててるのだから、常に持ち合わせていよう。

疲れてる時は休みがちだけど、まずは環境を変えてでもいいので取り組めるようになろう。

 

 

 そう思えた1日だった。ダラーっとした日からも得られるものはあるんだ。

 

各理由の具体的な行動も見えているからいける。ちょっと長くなってるから、ここには書かないけど。

 

何だか自分への戒め的要素がかなり強いブログになっちゃったなあ。

たまにはいっか。

 

こんなブログになっちゃったけど、読んでくれてた人いたら、ありがとうございます。

また、明日も見に来てくれたら嬉しいな。

 

 

 

 

誰かに不満を抱えてる人も、心を綺麗にできる。

こんにちは、つきしまです。毎日投稿3日目です。

 

これを読んでくれてる人の中に、今、誰かに対して、不満を抱えてる人はいるだろうか。そんな人は特に読んでみてほしいな。

今はそんな気持ちないよって人も、いつかのために、読んでみてください。

 

今日は、これを読んでくれてる人が、

自分の本当の気持ちに気付いてもらうために、

心を綺麗にしてもらうために、

不満について書いてきます。以前にも似たようなこと書いたんだけど、ちゃんと書いたことはなかったので。

 

僕は、不満の奥には期待があるって思っている。

事実、僕は不満を感じた時に、ちょっとだけ不満をほじくってみると、相手に期待してることはわりとすぐに見つかる。

 

これは考えてみれば当たり前のことだ。

なぜなら、不満って自分の思い通りにいかないから生まれることがほとんどだと思うから。つまり、自分の思い通りの像(=期待)なくして、不満は生まれないわけだ。

 

そしてこの期待こそが、自分の本当の気持ちであると、僕は思っている。期待に気付いたら、心の中に占める不満の割合が少なくなっていって、不純物の無い綺麗な心になると思っている。

 

僕の伝えたいことは、これだけでほぼ伝え終わったのだけど、もうちょっと僕が感じてることを書いてく。

 

 

不満の奥には期待があるのは今書いたけど、

この期待の存在に目を向けない人や気付かない人が多いと感じていて、もったいないと思うことがけっこうある。なぜもったいないかと言うと、心が汚くなる方向に自分を持って行ってるから。

 

例えば、 

あー、あいつの話しかけてもリアクション薄いとこ嫌だわー。

 

みたいな不満があったとする。

この人には例えば、自分の話にもう少しリアクションしてほしいって期待がある。

この期待に目を向けないで、「嫌だわー。」で終わる人が多く、心に負の気持ちを溜める方向に自分を持ってく人が多いと感じるってことだ。

 

不満で頭を染めるのではなくって、期待に目を向けられるようになったらいいなって思う。

心が綺麗になるはずだから。そして期待って、自分の本当の気持ちにより近いものだと思うから、相手にも伝わりやすいと思う。

だから言いたいこと言う時は、不満ではなく期待してることを言うことをおすすめしたいかな。

 

話が少しそれた。

 

期待してることに気付けるようになるためには、

まず、不満の奥には期待があるということを知ることがあると思う。

次に、実際に不満の気持ちが出てきたときに、相手に期待してることを考えてみる。

 

簡単だ。これだけで、いいと思う。

 

ただ不満が出てくるときは冷静さを欠いて、期待に目を向けることができないこともあると思う。そんな時は一旦、冷静になろう。と言いたいところだけど、

そんな人は、期待に目を向けるメリットを事前に知っておくのもアリな気がする。

 

そのメリットを知るには、

自分がこれまで感じてた不満を思い返し、当時、期待してたことを考えてみるとかがいいのかな。そこで期待が見えてきたら、それだけで心が綺麗になると思う。

 

さらに当時の不満を抱いていた対象に、その期待を伝えてみてもいいのかもしれない。結果、関係性が向上したりいい結果が生まれたら、期待に目を向けるメリットを大きく感じられるだろうな。と思う。

 

もし今不満を感じてる人がいたら、参考にしてみてね。

 自分の本当の気持ちに気付くのは、中々爽快なものだから、けっこうおすすめな考え方だと思ってるし、不満が出てきたらチャンスだと思う。

 

今日も読んでくれて、ありがとうございました。

何か思ったことあれば、リアクション待ってるので、好きなように言ってください!

 

 

自分に自信がない人へ。

こんにちは、つきしまです。毎日投稿2日目。

毎日投稿では、いつもより文量は、少なくなります。そっちの方が手軽に読めそうですね。毎日、2000字くらい書くのは、タフなので、もう少し先にします。

 

1週間続くか、楽しみです。

 

今日は、自分に自信を持つ方法について、書いていこう。

当たり前のことを書くことになりそうだけど、自分の経験談も軽く交えて話そうと思う。

 

今回のブログでは、「自分に自信を持つこと」を、「自己信頼が高いこと」、に置き換えて話していく。

7つの習慣という本で、自己信頼について考える時に信頼残高という概念が出てくる。この概念がしっくりきてるので、使わせてもらう。

 

信頼残高という考え方について軽く説明すると、信頼というのは、銀行の預金口座みたいに増えたり減ったりするものですよ。信頼は貯めることで自信が増し、信頼は引き出せば自信は減っていきますよ。って考えだ。

 

この考えの下、自信を手に入れる方法、つまりは自己信頼を高める方法について書いていく。

 

自分に自信がない人って、少なくないように感じる。

おれなんてどうせ。。。

私にはむり。。。

 

よく聞くフレーズだ。

ぱっと思いつくよく聞く自信を手に入れる方法、つまりは信頼残高に信頼を貯蓄する方法は、分かり易い結果を残すこと、褒められること、とかがあるように思う。

 

たしかに信頼残高はこれでも貯まると思う。

ただ僕がもっとも着実に自信をつける方法は、「決めたことを、やること。」だと思っている。

決める内容は、何でもいい。

 

授業の1限に遅刻しない。とか、1週間で10万円手に入れる。とか、1週間毎日ブログ投稿する。とか、今日はお昼ごはんラーメンを食べる。とかでもいい気がする。なんでもいいのだ。

ちなみに経験談だけど、僕はラーメンを昼に食べると決めて、食べることが出来た時は、ちょっと誇らしい気持ちになった。

小さいことでも大きいことでも、決意をして、実行することが、信頼を大なり小なり貯めていく着実な方法だと思っている。

 

決めて実行するって、分かり易い結果を残すことに近いと思うかもしれないけど、

殊、自己信頼を貯めるという側面で大事なのは、決めるという過程だと思う。

 

どういうことかというと、自分がやると言ったことをできた方が自信が付きやすいと思うということだ。宣言せずに(やると決めずに)何となくやってても、結果って偶然手に入ってしまうことがあったりすると思うから。

1週間で10万円手に入れるとかは良い例だ。

 

1週間で10万稼ぐ。って決めた人は必死に、収入を増やす方法考えて、何とかして、10万円手に入れる努力をする。で結果、10万円手に入ったら、大きな信頼の貯蓄に繋がるはずだ。

一方、特に意味もなくバイト戦士になって、1週間で10万円を手に入れた人は、信頼が貯まるかと言えば、多少貯まるだろうが、10万円貯めると決めた人と比べたら、あまり貯まる気はしない。 

 

自分で決めたことをできることが信頼を貯めるポイントなのだと思う。

 

「決めたことを実行する」と言うのは要は、目標達成という意味合いに近いかもしれない。

ただ、目標達成と言うと、なんだか大変そうに見えるので、「決めたことを実行する」という言葉を使ってるのだ。

小さいことでも、決めたことを実行できれば自分に自信は大なり小なりつくはずだ。

今日のお昼はラーメンにする。でもいいと思う。ラーメンを食べることを目標達成とはなんだか言いにくい、個人的には。

 

自分に自信がない人、ちっちゃいことでもいいので、ぜひ、決めてみたら自信が少しずつつくかもしれないですね。

 

今日はここまで。

いつも読んでくれる方、ありがとうございます!

 

 

 

 

人に気を遣って、疲れてる人へ。

 こんにちは、つきしまです。

今日から1週間、毎日投稿します。実験的に1週間続けます。

 

時間ある人、読んでってねー。以前も挑戦したけど、毎日投稿ってけっこう大変だけど、頑張ってみます。

 

今日も、ありがたいことにブログを読んでくれてる人からリクエストをもらったので、それについて書きます。

最近、知り合いからも、そうじゃない人からも、ブログのリアクションをもらえることがあって嬉しいです。

読者様の数があまり増えてこないのが悲しいですが。

 

これからもお願いします。

 

さて、リクエスト内容を書くためには、まずは、このブログのテーマから書くことが必要そうです。

このブログは、自立をテーマに書いてます。

ここでいう自立の定義は複数あって、その1つが、

「自分以外の何かに振り回されないで生きること。」

としている。

 

これについては、僕の第2回目のブログに詳しく書いたんだけど、これを読んで、疑問を持ってくれた人がいた。(気になる人は、ぜひ、読んでみてね。)

【20歳を超えても僕はまだ自立できていない】

 

この第2回目の投稿で、

自分以外の何かに振り回されてる人の例えで、こんなことを書いた。

例えば、学校の休み時間。

次の時間のテスト勉強をしたい。テストは自分にとっては本当に大事なことだから。だけど、友達にトイレに行こうって言われて、行きたくもないトイレに渋々ついていく。行かなかったら、ノリが悪い奴だって思われるから。これは、友達に人生を振り回されてるとも言える。

 

とこんなことだ。

 

ここでやっと、頂いたリクエスト内容を書ける。リクエスト内容は、

気遣いや親切による行動は、人に制限されてる行動(=人に振り回されてる行動)と、似てる部分があるけど、どこか違うと思う。

この違いって何だと思うか、つきしまの考えでいいので、書いてみて欲しい。

 

とのことだ。

 

つまり、上のトイレの例えで言うと、

気遣いとか親切の気持ちでトイレに行く場合もあると思うのだけど、

その場合って、人に振り回されてトイレに行くのとは、どんな違いがあるの?

ってことだ。

 

改めて、リクエストありがとうございます。いつか書こうと思ってたので、ありがたい。

 

僕の考えは、こうです。

「気遣いや親切にも種類があるから、その種類によって、振り回されてるか否かは決まると思う。やりたくないのにやる気遣いは、振り回されてると思う。やりたくてやる気遣いは、自立してると思う。」

こう思ってます。

 

まず、気遣いって言葉には少なくとも2種類のイメージがあると思う。このイメージの混同が、このリクエストに繋がってるように思う。

その2種類のイメージってのは、

気遣い①=自分が相手を思いやりたくて、やる気遣い。

もう1つは、

気遣い②=自分はやりたくないのにやる、我慢が必要な気遣い。

ざっくり、この2つ。

 

気遣いをこうやって分けて考えたら、

気遣い①=振り回されてない=自立している。

気遣い②=振り回されてる。=自立してない。

と考えられるようになるんじゃないかなと思う。

 

なので、

気遣いの種類が、気遣い①ならば、自立していると言える。

気遣いの種類が、気遣い②ならば、振り回されてると言える。

だと思う。 

気遣い①と②の違いをもう少し書くことが、リクエストに応えることだと思うので、もう少し書いてく。

 

自分の行った気遣いが、自分の中にある最も確固たる軸や価値観、このブログで使ってる言葉で言えば、「心の声」、に基づくものなのであれば、

それは、気遣い①になると思う。

一方、自分の行った気遣いが、それに基づかないのであれば、

それは、気遣い②になると思う。

(軸とか価値観って言葉は、定義が答えられないのであんまり好きじゃないけど、一番しっくりきそうなので使わせてもらう。)

 

トイレの例で言うと、

トイレに行くという行動の選択が、自分の中にある価値観に基づいてるかどうかで、自立してるか、振り回されてるか、が決まるわけだ。

 

 

例えば自分の中に、「できる限り友人のそばにいたい。」という価値観があるのならば、

トイレに誘われてついていくのは、自分の価値観に基づいて行動を選択しているのであり、すなわち自立していると言える。

こっちは気遣い①だ。

 

一方で例えば、自分の中に「自分が将来、実現したいことへの努力は惜しまない。」という価値観があるにも関わらず、

勉強中にトイレに誘われてついていくのは、自分の価値観に背いた行動を選択していると言える。すなわち、価値観に基づいた行動を邪魔する何かに行動を選ばされている、人生を振り回されていると言えるわけだ。

なのでこっちの気遣いは、気遣い②。

 

自分の価値観があるにも関わらず、それに背いてトイレに行く行動背景には、例えば、

人付き合いの悪い人間だって思われないために行く。

とか、

仲間外れにされないために行く。

とかがあるのかなと思ってる。

 

これって、

トイレに行かないと仲間外れにする人がいるから、トイレに行く選択をするわけだ。

逆に言えば、

トイレに誘った人が仲間外れにするような人がじゃなければ、勉強するってことだ。

それって、仲間外れにする人に、自分の行動を決められてるってことじゃないかな。

それは、自立してるとは言えないよね。ってことだ。

 

もちろん、行きたくないのにトイレに行く背景は様々だろうが、

どの道、自分は行きたくないのに我慢してるのであれば、それは振り回されてると言える。

 

こんな感じだ。かなり複雑になっちゃったなって思うが、伝わってるかな。。。

 

要は最初に書いた通り、

「気遣いにも種類があるから、その種類によって、振り回されてるか否かは決まるよ。

やりたくないのにやる気遣いは、振り回されてる。やりたくてやる気遣いは、自立してるよ。」

ってことだ。

うん。かなりシンプル。

 

 僕は、こう思ってます。

 

こんな長くなるとは思わなかった。。。

悪い癖だ、文章が長いのは。。

 

今日もここまで読んでくれた人、ありがとうございました。

もし何か思うことがあれば、リアクションいただけたら嬉しいです!

知り合いはラインに連絡くれてもいいんだよー笑

 

じゃあ、また明日!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サークルのみんなへ

めちゃめちゃ、まじで、長いので、いつか読んでもらえるだけでも嬉しいよ。

今見てくれても嬉しいけどね。10分あれば読めるよ。

 

 

昨日の卒業フットサルのスピーチで伝えたこと、補足や修正を加えて文字に残しておく。

理由は、

整理された話をするのは得意じゃなく伝わってるか分からないとこもあったので、

伝わってもらうために。

伝えきれなかったこともあったので、それも伝えきるために。

こんなこと言ってる人いたな。ちょっと考え方変えてみようかな。って思ってもらえる記録のために。

昨日これなかった4年生や1~3年生にも伝えるために。

 

書いてくよ。

 

まずは、浅田と吉田ありがとう。何よりも言いたいのは、楽しかったよ。

他のみんなも、ありがとう。フットサル、タダはデカかったです。

 

次は、4年へ言いたいことを言った。と、同時に、これは1~3年生へのメッセージでもあったよ。

大前提、4年生へは感謝の気持ちをたくさん持ってるし、それは伝える予定あるから、ここでは、それ以外の思ってることを言うね。

 

4年生は、仲が悪いと言われることが多かった。

実際、4年生は仲悪そうに見える場面があるんだろうなって思うし、確かにおれも、一部そうだなって思う場面はあるよ。

 

当たり前だけど仲が良かったら、仲が悪いなんて言われないもんね。例えば、今の2年生に、仲悪いなんて言う人いないじゃん、たぶん。

 

4年生がそんな関係になってる理由は、たくさんあるんだろうけど、おれが一番に思いつくのは、

ぶつかってこなかったこと。

が大きな理由だな。って思ってるよ。

 

ここで言うぶつかるってのは、

意見や考え方の違いを、お互いの気持ちを、目に見えて衝突させること。

分かり易く、衝突しまくった結果現れる現象は、例えば、ケンカとかになるのかな。

 

そういうぶつかり合いが、4年生には殆どなかったと思う。少なくともおれは、4年間で4年の誰とも目に見えて意見の衝突をした記憶も、

ケンカをした記憶もない。

そりゃあちょっとは、「えそれって、こうじゃないの?」みたいな会話はあったけどね。

 

おれ以外の4年も、多分そうなんじゃないかな。

 

そういう衝突をしてこなかったのは、

衝突して自分の意見が否定されそうで怖いからやだ。

そうやって傷つくのが怖いからやだ。

恥ずかしくて自分の意見は言えないからやだ。

言ってもどうせ変わらないから、言わない。

衝突した結果、めっちゃ仲良しではないけどある程度の仲の良さが保証されてる今の関係が崩れるからいやだ。

 

とか、人それぞれ理由はあると思う。でも結局は自分が傷つくのが嫌だから、衝突してこなかったのかなって思ってる。

少なくともおれはそうだった。

 

でも、多分、こうゆう衝突をしていかないと、本当の意味で仲のいい関係には、きっとなれないと思っているよ。

だから、傍から見ても、仲悪いと冗談でも言われてしまう関係に、良くも悪くもなってるのかな。って思ってるよ。

 

確かに、どんなことでも傷を負うのは怖いけど、それでも、

傷つくかもしれないことに踏み込む勇気と、それを乗り越える強さがないと、良い関係は築けないと思う。

 

おれはこの4年間、4年生といて本当に楽しかった。それは事実だし、この4年間を否定してるつもりはないけど、

もし、おれも含めて、みんながみんなぶつかる勇気と乗り越える強さをもっていれば、今とはまた違った関係性があったんだろうな。って思ってるよ。

 

今日が最後の日でもないからは、後悔はしてないよ。反省して、これからも関わりたいって思ってる。

 

ここまでを踏まえて、1度、1~3年生へ直接的なメッセージを送るよ、特に幹部を控える1年生と、幹部最中の2年生へ。

言いたいことがあるなら、言ってしまえばいいと思う。

担当がつらいなら、つらい。代表が苦しいなら、苦しい。サークルきてほしいなら、きてほしい。

悩んでることがあるなら、悩んでる。あなたはそう思ってるみたいだけど、自分はこんな風に思ってる。あなたのこんな言葉や行動に傷ついた。

 

こういうの全部言ってしまえばいいと思う。

 

最初から上手く伝わることは少ないと思う。何回も伝える必要もあると思う。お前が悪いんだろって言い返す人もいるかもしれない。

否定されて傷つくかもしれない。だから伝えるのは怖いし、勇気がいる。

けど、それができた時にはきっと、今とは違ういい関係が、待ってると思うんだ。

 

ちなみに個人的には、自分の思ってること、ぶつけてみても、案外受け止めてくれる人も多かったりするなあって感じてるよ。

そうじゃない人もけっこういるけどね。

特に、1~3年生のみんなは、これまで培ってきた仲のいい関係があるんだから、言いたいこと言っても受け止めてくれる人、きっと多いんじゃないかな。

そう思ってるよ。

 

再び、4年生へ言いたいことに戻ります。

4年生には偏見ガチガチな人が多いなって思ってて嫌だなあって思うことがけっこうありました。

特に人の行動や言葉に対する印象がとても偏ってるなあ。って思ってました。

 

例えば、

あいつサークルこないよなあ。あいつサークル嫌いだからなあ。

あいついっつも粗相ばっかだよなあ。あいつ性欲強いからなあ。

とか。

2つ目はウケ狙いだけど、こんな感じの考え方だ。これは飽くまでも例えなので、4年生の誰かがこれを言ってたわけではないけども、

ただ、人に対して、こういう偏った見方をする人が多いなって感じてた。これが嫌だった。

 

本人にそれ確認したの?してないなら、なんでそんな一方的な見方しか考えないで、さもそれが、正解かのように話すの?

なんで幸せじゃない解釈しかしないの?

なんでもっと別の相手の行動や発言の背景を考えないの?

って言いたかったんだ。

 

もし、

あいつがサークル来ない理由は、病気のお母さんを看病してるから。

だったとしたら、自分の一方的な見方を絶対に後悔するよ。

偏見ガチガチなその考え方は、きっと後悔するし幸せじゃないよ。って言いたかった。

 

こんなことをスピーチの場になって初めて話すのは、直接伝える勇気がなかったからで、申し訳ないとは思ってるけど、そう思ってました。

 

4年に言いたいことはこんな感じです。

 

さて、こっからは各学年へのメッセージ。

 

1年生

1年生のことは、本当に尊敬してる。

何を尊敬してるかって言うと、3個上の先輩にこれだけ、がっつり絡みにいける力があることを尊敬してる。

おれが1年の頃なんて、4年生なんて緊張したから気遣って、全然話しかけられなかった。

事実、当時の先輩とはあんまり思い出を残せてない。

 

それなのに、君らは、夏合宿や大きいサークルのイベントにしか現れない3個上の先輩に、

これだけガツガツ絡みにいけるんだから、すごいと思う。もちろん人によって程度の差はあると思うけどね。

それでも、おれにはできないことをできる君らを本当に尊敬してる。

 

たくさん、話してくれてありがとう。おれはまだ1年、学校にいるから、20歳になったらたくさん飲みに行こう。

残りの1年で、1人何回のみ行くか、個人でラインします。

 

2年生

おれは君らに対して、嫉妬の気持ちがでかい。

君らはどんどん新しくて面白いものをつくってくから。

それもおれたちが作り上げてきたものを、いとも簡単に乗り越えるくらい面白い物。

 

おれがしばらくサークルに顔出さない内に、知らないルールがめっちゃつくられてて、本当に久々の飲み会は毎回困ったよ。

だから、風船ゲームみたいな醜態をさらしてしまったんだよ。

 

こないだのバレー練だって、多くの人がIKKOのマネしてた中で、おれは上手くマネできないから、

マスオさんのマネして、マスオさんを広めようとしてた。

のに、誰もマスオさんにはのってこないで、IKKOが飛び交う中での、バレーになっちゃた。

 

IKKOおもろいもんな。だから仕方ないけどさ、嫉妬するよ。

どんどん面白いものをつくる君らには、嫉妬してる。

 

そんな君らには心残りがある。

何かおれが君らにあげられたものはあるのかな。ってこと。

 

君らには、何も与えられなかったんじゃないかって心残りだよ。何かあげられたかなぁ。

そんな感じです。

 

あとは今考えてるのは、僕の今後1年間の振る舞いです。

君らの作る面白いものにのっかってく振る舞いをするか、

これからもおれとバンで新しいものを作り上げて、まずはきたる新1年生に浸透させ、

下の学年から徐々にサークル全体へと、おれらの作るものを広げる振る舞いをするか。

そんなことを考えてるよ。

 

これからも、飲もうね。

 

3年生

まずは3女。

3女は、久々に顔出すと大体きゃーきゃー近寄ってきてくれて、とても嬉しいよ。

本当にそんなきゃーきゃーするほどおれへの愛があるのかどうか、それは分からないけれど、

君らがおれをどう思っていようとも、君らのおれに対する関わり方でおれはとても幸せな気分になれていたよ。

ありがとう。

 

そして、3男。

スピーチでは、君らに何を言うかとても言葉に詰まった。

その上で、頑張れって伝えた。

溜まってることもあるでしょうきっと。

女子に負けずに、言いたいことあるなら言ってしまえ。そう言った。

冒頭で、言いたいことあるなら言ってしまえばいいって言ったけど、君らにもそれを伝えたい。

 

そういう意味で、頑張れって伝えたよ。

言いたいこと言うってきっと。今までとは違うことをすることになると思うから、頑張れって伝えたよ。

3男も好きです。とか、そういう言葉の前に、それを言いたいって思って、頑張れって伝えたよ。

 

頑張れ。

もちろん、好きだよ、3男も。

 

そして4年。

冒頭で言いたいことは言ったし、感謝は手紙で伝えると言ったけど、やっぱりここでも伝えるよ。

大学生活でのおれの居場所は、サークルなんだけど、サークルが居場所になったのは、間違いなく、君たちのおかげです。

 

おれがやることにたくさん笑ってくれて、サークルでも毎度声かけてくれるのは、君たちで、

君たちがいたから、僕はこの4年間、楽しむことができました。

居場所をつくってくれて、ありがとう。

 

 

最後、全員に伝えたいこと。

これからも、好きなように生きてほしいです。

 

大学にまだ残る人に限らず、これから社会に出る4年生にも、同じことが言いたいです。

僕は好きなように生きてる君たちを見ていたい。おれもそうやって生きていくよ。

 

サークルじゃない別の場所が好きなら、そこにいればいい。

サークルが好きなら、サークルに行けばいい。サークルいきたくないなら、行かなきゃいい。

何かやってみたいことがあるなら、やってみればいい。

それが1人じゃできないことなら、誰かと一緒にやってみればいい。

 

とにかく、好きなように大学生活を送ればいいと思うよ。

社会人になる人もそう変わらないと思うよ。社会人じゃないから何とも言えないけど。

 

仕事辞めたいなら辞めればいい。

転職したいならすればいい。

サークル戻ってきたいなら戻ってくればいい。

 

全部全部、好きなように過ごしていけばいいと思う。

 

ここは補足。

練習に参加してもらえると担当や代表は特に嬉しいものだと思う。逆だったら悲しいものだと思う。

サークルがある日に遊びに行ってSNSにあげるようなことをする。

ここらへん、もっと思いやりをもった行動をしてほしい。

ってニュアンスのことを話してくれた4年生がちらほらいた。

 

だけど、その上でもおれは、好きなようにすればいいと思うって言いたい。

 

練習への参加云々の話はおれもその通りだと思う。思いやりをもつことは大切だよ当然。

 

「おいおい、それじゃあ、好きなように生きることなんてできないじゃんか。」

って思う人いるかな?そういう人に向けて、この補足を書いてるよ。

 

好きなように生きるってのは一瞬立ち止まって考えることも必要な気がする。

目先の楽しさを優先することがなにも、好きなように生きるではないと思う。

目先の感情に生きることが、好きなように生きることなのであれば、この世はレイプ魔で溢れてるよね。

 

一瞬でもいいから立ち止まって、その上で好きなようにすればいいと思う。って言いたい。

 

例えば、

自分が好きじゃない競技(例えばバレーとする)の練習に行くか、遊びに出かけるか迷ってるとする。

ここで、遊びの方が楽しいから、遊びいこー。って即決するのは、違う気がするんだ。

 

バレーに行くって行動は、ちょっと苦手なスポーツをやる行動。でも担当や代表を喜ばすことができる行動でもある。

一方で遊びに行くって行動は、楽しい行動。一緒に遊んだ人とは思い出をつくれるかもしれない。けど、担当や代表を喜ばすことは出来ない行動でもある。

 

サークルに行く未来と、遊びに行く未来、どちらの未来も少しだけでも考えてから、

好きなようにすればいいと、おれは思う。

 

思い出をつくりたい気持ちが強いなら、遊びに行けばいいし、

ちょっと苦手なスポーツやってでも、代表や担当を喜ばせたいなら、練習に行けばいいと思う。

 

好きなようにいきるってこうゆう意味で、言ってたんだよ。ってことを伝えるための補足でした。

 

以上、これが僕から伝えたかったことでした。

長々とここに書いたことは、あくまでも僕が思ってることなので、取り入れてみるかどうかも、好きにしてね。

 

ひとまず、4年間、ありがとう。

これからも、大学生活、楽しもうね。

 

多分ほとんどいないだろうけど、ここまで読んでくれた人ありがとう!

 

 

居場所はありますか?

こんにちは、つきしまです。

 

もうしばらくしたら、毎日投稿を再チャレンジしてみようかなあと思っています。

 

今日は居場所について話をしようかな。

居場所ってのは、自分の心理的安全性が確保されている、つまり自分が自分らしくていいって思えてる場所のこと、自分を受け止めてもらえてるって思える環境のこと、とする。

 

これを読んでくれてる方は、自分が居場所だと思えてる場所はありますか?

 

僕には今思いつくだけでも、居場所だと思える場所が、2つあります。とっても幸せ者だなあって思ってます。

 

居場所ってほんとに大事だと思う。

僕はこの居場所に本当に助けられた。

 

まず僕は、居場所があるだけで、自分を自他共に認めることができる。次の理由で書くことに近いけど、自信がつく。ああ、僕は僕でいいんだって。

 

他にも、自分の居場所があると、ストレッチゾーンに飛び込む力も生まれるという。

ストレッチゾーンってのは、未知の出来事に遭遇したり、失敗したりするリスクのある、気を張った状態なる領域のこと。

 

居場所があると、

自分は自分でいいんだ。失敗したって、受け止めてくれる人がいる。応援してくれる人がいる。だからストレッチゾーンに飛び込んだって怖くない。って思えるはずだ。

ぼくはそんな居場所があったから、路上ライブに挑戦することができた。

 

このブログを読んでくれてる人も、多くは居場所を1つは持ってると思う。無意識で居場所だと思ってる場所もあるかもしれないと思う。

もし、そんな居場所があるなら、それを大切にしてほしい。居場所は自分の人生を生きるには必要不可欠かもしれないから。

ってことを、今日は伝えられたら嬉しいです。

 

いつも読んでくれてる方、ありがとうございます。

 

何かリアクションあれば、よろしくお願いします。