多様性と分類

こんばんは。

今日も、僕の大好きな授業の学びを投稿します。

 

それは分類の話です。

人間は色々なものを分類します。そして、分類し、混とんとしたものを整理し、仕分けをします。なので分類はとても便利です。

しかし、分類を行うと、分類Aにも分類Bにも分類できない、例外Cが生まれることがあります。

 

この世界は、この、例外Cにとても厳しいみたいです。

今は、多様性を尊重しよう。という風潮が生まれつつありますが、尊重という言葉遣いである限り、例外Cが、例外じゃなく、分類Cになる日は来ないのだろうなと考えたりしていました。

 

例えば、分かり易い例で言うと性別の分類です。

性別は、

男と女

という風に分類します。

この分類の境界にはLGBTがあります。

 

男の人、女の人は、当たり前すぎて気付かないことも多いと思うけど、この世界は男の人や女の人が生きやすいようにできてるはずです。

男湯・女湯、メンズ・レディース、男子トイレ・女子トイレ、などなど。

 

これが分類によって、生まれた恩恵です。

しかし、分類の境界にいるLGBTの人は、暮らしづらさがあるのではないかと思います。

 

他にも、結婚する人の目的は、無意識的にだけども、この分類の境界から逃れるために、結婚してるって目的もあるのだろうなと思います。

 

ここでの分類は、恋愛感情がある状態の分類になりそうです。

具体的には、 
付き合ってる状態(恋人)

籍を入れてる状態(夫婦/結婚)
に分類されます。


恋人に分類されるのは、結婚できない年齢だったり、短い時間しか互いの恋愛感情を育んでいない人たち。
夫婦に分類されるのは、結婚できる年齢で、比較的長い時間恋愛感情を育んでる人たち。
って感じです(こちらも例外はあると思うが。)。


そしてこの恋人と夫婦の分類の境界になるのは、

結婚できる年齢かつ、比較的長期間愛を育んでいる人たちになるのかなと思います。事実婚とかが近いかもしれないですね。

こうゆう人たちは、

籍を入れて、結婚の分類に入っておかないと、色々制度的にも暮らしにくくなりそうです。事実婚だと、税金の減税・遺産手続き・手術などの代理手続きができないそうです。

それに、事実婚反対!なんて人もいて精神的にも辛い思いをするかもしれないです。

 

結婚するのって、こうゆう生きづらさから抜けて、分類の枠組みにはまることが目的でもあると思うのです。


こんな風に、分類は便利ではあるけども、境界を生み、その境界にいる人は、生きづらくなるなんてことがあると思うのです。

 

分類の境界にある例外Cを、尊重する流れは少しずつ来ているような気がします。
しかし、Cに対して「尊重」という言葉を使ってる時点で、例外Cは分類Aや分類Bと並列の扱いは受けられないように思います。

 

分類の境界にある例外Cも、例外Cではなく、分類Cと呼ばれることが、

「多様性を尊重する時代」のその先の、「多様性が当たり前な時代」には必須なのだろうなと感じました。

 

分かりにくいことを書いてしまったので伝わってるか微妙ですが、読んでくれた人がいたらありがとうございます。