テストを頑張ってママに褒めてもらった子どもは何に喜ぶといいのか。
こんにちは、つきしまです。
もうすぐ、2月も終わりですね。
3月2日までに、読者さんを100人にする。って目標を立てました。
なので、今日から3月2日まで、毎日ブログ書きます。
読者になってくれてる方、ありがとうございます。嬉しいです。
今日も、いつものように自立について書いていきます。
中でも、「自立を邪魔する」ものについて、僕が考えてることを書こうと思います。
僕が、自立を邪魔すると考えているのは
褒められること。
褒められたら、注意。
何でそう思うかというと、
褒められるか褒められないかは、褒めてくれる人が決めることで、自分が決められるものではないから。でも褒められるのって嬉しいから。
褒められるってのは、何か頑張った結果生まれた今の自分や、
何かに向かって頑張ってる最中に言われることが多いと思う。
つまり、褒められることと、頑張るは密接に結びついている。
褒めるかどうかは、褒める人が決める。という理由から、褒めてもらうために、頑張る。というのは、自立とは真逆の依存状態にあると思う。
しかも、褒められるのって普通に嬉しいからこそ、褒められるために頑張りがちになってしまうと思う。
例えば、
ママに褒めてもらうために、テスト勉強を頑張る子どもがいたとする。
頑張った結果、子どもは見事テストで満点をとった。しかし、いつもは褒めてくれる母親は、その日たまたま機嫌が悪く、子どものことを褒めなかった。
子どもは、褒めてもらえず、あぁ僕は何で頑張ってたんだろう。って落ち込んでしまう。
とこんな感じだ。母親の機嫌の良し悪しを子供が影響できる範囲はたかが知れている(その範囲は多分大きくできるとけど)。
昼ドラの展開が気に入らないから、母親の機嫌が悪くなるなんてこともあるかもしれないのだ。
褒められるために頑張るは自立とは真逆の状態であると同時に、褒められること自体は嬉しいものだから、褒められることが目的になりやすいし、注意が必要だと考えている。
甘い蜜だけど、毒がある。みたいなイメージ。
では、僕は褒められた時に、どう考えるようにしているか。というと、
褒められたら、褒められる要因となった自分の変化を自覚し、喜ぶこと。
これを意識している。
褒められることってのは、自分の変化を自覚するための道具に過ぎないと思う。
褒められること自体は、悪いことではない。何か良い方向に変化した、もしくは変化している最中である証拠だと思うから。
そこに着目したい。褒められた時に、その変化を喜ぶことが、依存からの脱却になる。
例えば、さっきのままと子どもなら、こんな感じ。
すごい!算数のテスト1番だったのね!前より成績上がったじゃない!
ありがとう!(全く勉強してなかったら、1番にはなれなかったよな。前は2番だったし。一生懸命頑張ったけど、それはママから見ても、頑張ってるように見えてたんだ。自分から見ても人から見てもレベルアップしてるなら、僕は間違いなく変化してるんだ!)
みたいな感じだ。これなら、人に褒められることは、自己変化を知るための道具として捉えられているから、依存とは離れているはずだ。
これが僕の、褒められた時に意識することだ。(正確には意識したいこと。)
重ねるけど、褒められることは悪いことではないと思っている。自分の変化に確証が持てるし、自分の気付かない変化を自覚させてくれるとも思うから。
ただ、褒められることそれ自体じゃなく、褒められた要因を喜ぶことが、自立できてる人がすることなんだろうな。
人を褒めつつ、褒められた時は注意しよう。
では、また明日。毎日書けるかな、、笑