目には目を。について考えてみた。

こんにちは、今日も僕の好きな授業で学んだことや考えたことを書いてこうと思います。
それは互酬性についてです。目には目を。という言葉は、互酬性に非常に密接な言葉です。

互酬性とは、
自分が受けた贈り物、サービス、行為、または損害に対して、何らかのお返しをする行為のこと。

僕は互酬性には、大きく2種類あると考えている。
正の連鎖が起きている互酬性
と、
負の連鎖が起きている互酬性
の2種類だ。

例えば、正の連鎖の互酬性は、
自分に誕生日プレゼントをくれた友達に、誕生日プレゼントをお返しにあげる行為などだ。
負の連鎖の互酬性は、
友達に約束を破られたから、その友達を次から遊びに誘わないで仲間外れにする行為などだ。

この例を見ればわかると思うが、互酬性には、中々終わりが来ない。
特に負の連鎖は終わりが見えにくい気がする。
経験的にも、そんな気はするし、「目には目を歯には歯を。」という言葉があるくらいだから、尚更、負の連鎖を止めるのは難しそうだと感じる。

で、この負の連鎖の互酬性を、どうにかして終わらせて、正の連鎖の互酬性にシフトすることはできないのだろうか。
ということを、大学の授業で考えた。

「「目には目を」では、世界中を盲目にする。」とガンジーが言っていたらしいが、
そう考えると、負の連鎖はどうにかして終わらせたいなと思う。

授業では互酬性に関する部隊の映像を見せてもらったが、その舞台では、負の互酬性を正の互酬性に転換することに成功していた。
ただしそれは、神や奇跡という人間を超越した存在のおかげで成功していて、
人間の力で、負から正への転換に成功していたわけではなかったのだ。

具体的にどんな場面だったかというと、
2人の登場人物A、Bがいる。
AはBのご先祖様を見殺しにしてしまった。
Bは当然Aを恨み、Aに嫌がらせをする。
こうして互いが互いを恨む関係になる。(負の連鎖の互酬性)
そんな時、Bの子供が骨髄移植が必要で、世界中探しても全くドナーが見つからずBの子供の命が危険な状況になる。
奇跡的に、AがBの子供とドナー適合して、Bの子供がAによって救われる。
これまでAを恨んでいたBは、Aに感謝する。(負の連鎖から正の連鎖への転換)

僕はこの映像を見て、「ああ、人間の力じゃあ、負から正の互酬性への転換は無理なのか。」と思って悲しくなった。

ここからは、僕の考えたことなのだが、
僕は人間の力でも、負の連鎖から正の連鎖へのシフトはできるような気がしている。
とても難しいし、我慢がいることかもしれないが。

どうやってやるかというと、やられたことに対しての解釈を上手く選択することで、負の連鎖を食い止め、正の連鎖へのシフトするのだ。
思いつく具体例が、「いや、それは無理があるだろ。」って具体例なので、難しい方法なんだろうなとは思うけど、不可能ではないとも思う。
例えば、
友達に急にぶん殴られたとする。
ぶん殴られたのは、事実だけど、その事実に対する解釈は自由だ。
ぶん殴られて、おれは痛みに強くなったぞ。
って考えることもできる。(かなり無理あるけども。。。)

とこんな風に、嫌なことされても、良いように解釈はできる。
だから、神や奇跡の力を借りなくても、人の力で、負の連鎖のある互酬性を正の連鎖の互酬性にシフトすることは、
不可能じゃないのだろうな。と思っているのだ。

やられたらやり返すを繰り返して、全員が盲目になるよりは、
事実に対する解釈を上手に選択して、ハッピーになりたいなと思った授業だったのだ。

選択理論を勉強してるからか、選択の自由があることばかり、最近のブログに書いてしまってるな。。
もっと他のことも学んで色々書けるようになりたいなあ。

互酬性についての理解もまだまだ浅いので、もっと勉強しよう。

読んでくれた人、ありがとうございます。