大嫌いな人に、僕は全力で人生を捧げていた。
まずは1ヶ月間、木・日曜日に投稿すると決めてます。つきしまです。
今現時点で感じてる、「自立って悪くないよ。」って気持ちを伝えるために始めたブログ。
今日は、自立とは真反対の状態、つまり常に何かに依存してる人生について書こう。
常に何かに依存してる人生って、残念だったなあ。ってことを書きたいかな。
「残念だった。」ってのは自分がそうだったってこと。
僕は中学3年の時、まるで自分の人生を生きてなかった。心の声も一切出してなかった。
当時、ある1人の生徒から言葉や身体の暴力を受けていた。
暴力ってよりも、度を超えたいじりってイメージが強い。長いので暴力ってまとめるけど。
元々いじられキャラだった僕は、いじられることには慣れてたし、それを見て皆が楽しんでるのを見るのが好きだった。
中学3年になると、それが変わった。1人の生徒と同じクラスになり、度を越したいじりを受けるようになった。
廊下ですれ違う度、僕の机を通り過ぎる度、その生徒の友達と僕が話してる度、言葉や体の暴力を受けた。
だから、
その生徒が視界に入ったら、見つからないように廊下を迂回した。
移動教室の時は、見つからないために絶対にそいつの後ろで移動した。
出来る限り学校で自由時間を過ごさないために、授業開始直前に登校するようにした。
休み時間に何か会話するとその生徒の目につくと思って、いつも寝たふりをした。
その生徒の友達に僕が1番仲が良かった友達がいたけど、暴力から逃げるためにその友達と距離を取るようになった。
毎日息苦しい生活だった。本当に学校いる間、息が苦しかった。落ち着くのは授業中くらいだった。
僕の心の中は全て、その生徒を恨んだり苦しめることに使い、
僕の行動は全て、その生徒から逃げることが最優先だった。
全部その生徒を中心にして生きてた。
中学3年生の人生を、僕が最も恨んでいた人間に全て捧げてしまったということだ。
あの時の僕の心の声は、「助けて。」だ。
この声の存在には、実はつい数カ月前に気付いた。
仲のいい友達も含めて、誰も助けてくれないからって、学校の人間全員を一方的に嫌うようになった。人を信頼しなくなったのも、この時からだと思っている。
そのせいなのか、僕は中学3年以降、ほとんど何も記憶がない。
少し話が逸れた。戻そう。
ついこないだ、7年越しに、中学で仲良かった友達2人にその声を電話で伝えた。超後出しで「助けてほしかった」を伝えた。
驚いたことに自分がそんなに苦しんでることを知らなかったらしい。僕の行動や人格が途中からおかしくなったことは感じてたみたいだけど。
「気付けなくてごめん。」って言葉をもらった。
自分は中高の人間が嫌いだったから、その2人にも冷たくしたし、音信不通にもしてたのに、僕と一緒にいた中高時代の話を楽しそうに話してくれた。
ほとんど記憶ないから、そんなことあったっけ?ってずっと言ってたたけど、めちゃめちゃ嬉しかった。
記憶に色が付きはじめたのが、自分で分かった。自分にも、自分の人生を生きてる瞬間がわずかに存在したことを知った。
後出しの声だけど、伝えたら、とっても楽になった。
自分の人生を生きてなかった過去は取り戻せないけど、心の声って出していいんだ。って思えるようになった。
心の声に気付き、そしてそれを出す勇気。
自分の人生を生きる第一歩だなって思う。
この経験があったから、今ブログなんてやってるのかもしれない。
もし、これを見て、1人でも、自立に近づいたら、とても嬉しい。
そんな人が出てきてくれたら、僕の中3も捨てたもんじゃない。